根拠はない

マイティースイズデリシャス

ハザカイキでぽろぽろ感想など

とりあえず今のところのざっくり感想です。まとめてちゃんとしたものを書き直す可能性もあります。内容にふれています。

 

「ゲボですよ、おれたち」
週刊誌に垂れ込まれた菅原クンに叩きつけられた川綱のひと言。

田村マネージャーの「全部出しましょう」の声でゲボにまみれた菅原クンは最後、すべて洗い流してくれるシャワーみたいな雨の中、濡れないようにジャケットの中に入れ込んでいたカメラバッグさえ地べたに捨て置き、2人で笑い合って過ごす楽しさにプロポーズまでして。傍観者でいることを許さないような鋭い目でわたしたちにフラッシュライトを浴びせた菅原クン、ゲボはゲボであれよ。ゲボの正しさや美しさを見せてくれよ。永遠に「論破ってことでいい?」ってイキった小憎らしい菅原クンであれよ。

 

初見第一幕の間中、なぜこれを舞台でやろうと思ったのか考えていました。

舞台は対比や繰り返しが映像以上に分かりやすくなる気がしていて、それを説明してくれる読み物はないのかなと思っているところなのですが、その効果を狙った部分もありそうだと思いつつそれでもなお物語だけでなく場面の切り替えの速さ、音楽の入り方もなんだか映画っぽくて、よりなぜ舞台にすることを選んだのか不思議でした。実験的と呼ぶには完成度が高く熟練された左右とたまに正面、そして奥にかかる橋の立体的な舞台装置、それと菅原クンの濡れ場(物理)。シーンごとに舞台を分割したり引き延ばしたり、映像を舞台で実現させるためにどう演出していくのかがベースのアイデアなのかなと思いました。けれどクライマックスの橋本香アイドルの記者会見でようやく理解しました。

あのこねくりまわしたセリフを書いた三浦さんって面白いなあとまず興味がわきました。ちなみにわたしの一番好きな太宰治の作品は「駆け込み訴え」で、町田康の「告白」は超傑作だと思っています。

読点を嫌う問答みたいな記者会見、こんなのは自分の中を覗き込みながら坂道を転がり落ちるみたいに速度を増してヒステリー混じりの自己陶酔にも陥りそうなものだけど橋本香アイドルはぎりぎりのところで留まり、ときに菅原クンに目をやり、またカメラの向こうの視聴者や客席のわたしたち届く演説をやりきり、菅原クンを見送る。腹の座り方が半端ない橋本香アイドル。

活動自粛中の橋本香アイドルがひとり部屋で歌う中島みゆきの「時代」。『まわる まわるよ 時代はまわる』歌詞に合わせて舞台が回り、週刊誌の矛先も菅原クンにまわってくる。そして記者会見の前にもまた同じ歌を歌い、自分のターンに戻す橋本香アイドル。橋本香アイドルが時代をまわしているんだね、千年に一人の逸材・天才的なアイドル様だよ……。

 

わたしの一番好きなアイドル丸山隆平さんは、今回の演目でも三角関係巻き込まれ型主人公であったな。前作のパラダイスでは真鍋と辺見との三角関係だった梶君、今回は里美と伸二との三角関係な菅原クン。

恐ろしいのが両作品とも当て書きであるということ。そんな役をあてたくなる丸山隆平さんは赤堀さん、三浦さんにどのような面を見せているのか想像に堪えない(饅頭めちゃくちゃ怖い)。

次のツアーでは『セクハラ変態記者』ウチワがいくつ上がるのか楽しみ。

ICLを受けた話

2023年にICLを受けて目がめちゃくちゃよくなりました。目の中にコンタクトレンズを埋め込む手術です。レーシックも考えたのですがわたしの最強度近視ギリギリの視力と乱視から結果ICLとなりました。

 

2023年の7月末にコロナになってそのままお盆休みに突入。
1日の半分以上を寝て過ごし、コンタクトレンズを使わない生活が続いたのでふと思い立ち以前から気になっていたICLを調べてみたところ、検査2週間前からコンタクトレンズ使用禁止だったのでちょうどいいやと思い申し込んでみることに。

ICLは認定医資格を持つ先生でないと執刀できないそうなのですが、その中でもICLエキスパートインストラクターという上位ライセンスを持っている先生がいる病院を選びました。失明することはほぼないとは言われているものの、目の手術に万が一のことがあったら悲惨なので思い付きの行動ではあったものの、ここは慎重に選びました。

事前検査

2週間の裸眼・眼鏡隠遁生活を経て受けた初回検査は視力・眼圧・細胞の量?の調査、瞳孔を開く目薬と麻酔のための目薬をさして黒目のサイズをはかるなど、1時間半から2時間ほどかかりました。目薬を何度もさしていると元々遠くが見えないのに、さらに近くも見えなくなって恐怖でした。また黒目のサイズを測るとき目を閉じられないように器具を取り付けたのが楽しくて、帰りにコンビニで牛乳を買って飲みました。

初回検査後にコンタクトレンズ復帰できるかと思っていたら2回目の検査を行わないとコンタクトレンズができないとのこと。初回検査後にコンタクトレンズを着用してしまうとまた2週間裸眼・眼鏡拷問を受けないと2回目の検査を受けることができなかったので、もっとも早く予約ができる日に実施しました。
2回目は視力が安定しているのかどうかの確認が主になるようで、初回ほどかからずに終了しました。2回目の検査時にICLレンズ代金のみ支払い、病院がICLのレンズを発注し、入荷してから手術日の調整、手術当日にレンズ代金を除く施術代を支払いの流れが通常ですが、レンズの入荷が遅くなった場合施術が翌年に繰り越しになり、ICL手術費用の領収書も翌年の日付になってしまう可能性がありました。
ICL手術では医療費控除を受けることができるのですが、できれば2023年度分で確定申告をしたかったので病院に便宜を払っていただき2回目の検査時に全額を支払いました。翌月のカード支払いが他の支払いも合わせて三桁万円になりさすがに興奮しました。

初回検査と2回目の検査が8月末、幸運なことに9月半ばにはレンズ入荷の連絡がありました。状況によっては数か月かかることもあるそうでラッキーでした。もしかしたらICLを受けがちな視力のボリュームゾーンだったのかもしれません。
その後病院とのやりとりで11月末に手術を受けることが決まりました。

手術3日前から1日に4回コンタクトレンズを外して目薬をさす必要がありましたが手術前日までコンタクトレンズを着用していてもよいとのことで、2週間使い捨てのレンズを1日で使い捨ててみたりと富豪のような生活を送り当日を迎えました。

手術の日

当日はコンタクトレンズ禁止なので眼鏡を外して歩いてみたり、最後の目が見えない状態を楽しみながら病院へ向かいました。

受付後、簡単な検査をしてから早々に目薬祭りが始まりました。黒目のサイズをはかったときと同じ麻酔と瞳孔を開く目薬です。名前を書いたシールの貼られた長いスモックのような物を着用し、給食係たいな帽子をかぶり、わたしと同じように手術を待つ人たちと静かに待合室の椅子に座り、時折看護師さんがいれてくれる目薬を大人しく受け入れる時間がたぶん30~40分ほど続きました。徐々に視界がボヤけ、ひとりずつ人が減っていく中いよいよわたしの順番がまわってきました。
生まれて初めての手術室入室だったのですが、目があまり見えていなかったのが残念です。

歯医者さんのような椅子に座り寝かされ、先生が「今からこれを入れますね」と目の前でICLのレンズをかざしてくれたのですが、なんせ目薬祭の後なので何も見えませんでした。
手術中は天井の3つのライトを見つめていてほしいとのことでしたが、途中でオレンジがかった肌色に薄いピンクに灰色が少し混じったような色で塞がれライトが見えなくなる瞬間がありじゃっかんパニックになりました。
また、黒目の上の部分を切開しレンズを目の中に入れる工程で、痛くはないものの何とも言えない不快感が辛くて辛くて足の指をずっと動かしていました。感触の不愉快さからか脳貧血のときのようなショックを感じて息が上がりました。

目は二つありますからね右目が終わってから次は左目です。インターバルのときに先生が言ったのは「麻酔が効きにくく痛みに弱いタイプですね」だったので、もしかしたら他の方はそこまで感触も感じないのかもしれません。
左目が始まったときには看護師さんが手を握ってくれたので思い切りギューッとさせていただきました。優しい。ありがとう。でも途中でほどかれました。悲しい。

手術自体は両目でもしかしたら10分ちょっとで完了したかもしれません。終わってすぐはまだピントが合わずボヤっとしているものの、明らかに手術前より見えていた気がします。
30分ほど病院で休憩をして簡単な検査をしてから解散だったのですが、待合室で他の方々と同じように椅子にかけようとしたところベッドで寝ますかと聞いていただいて申し訳ない気持ち。休憩後の検査でも問題なく、前もって準備していた保護メガネをかけて病院を後にしました。
保護メガネは病院で買うこともできたのですが、楽天で花粉用のサイドもカバーできるものを購入しました。しばらく外出時はもちろん家の中でもかけている必要があり、お化粧もできない時期にかけるので顔に合うものを探したほうがましな気分ですごすことができます。

翌日も朝いちで術後検査があったので病院の近くのホテルにチェックイン。なんと手術当日はお風呂に入れず、もちろんシャワーもダメで、洗顔も禁止。さらに2時間おきに3種類の目薬をさす必要があります。
手術前にICL体験ブログを散々読んでいたので疲労や何やら覚悟していたのですが予想外に普通で、麻酔の効果もなくなってきたころにはコンタクトレンズを付けているのとほぼ同じように見えるようになっていました。ただ、ライトを見たときに白いラインがシュインシュインと円をかくのが気になりました。
また徐々に目が乾いた時のような疲れが出てきたり、コンタクトレンズをつけたままオイル洗顔をして目の中でオイルの膜が張っちゃったときのようなモヤモヤとした見えにくさがあったり、左目がコンタクトがずれた時のようなレンズ曇ってるように白っぽく見えたり、まさか失敗したのではと不安になりました。

寝る前に目を避けて顔を拭き、準備しておいたドライシャンプーを使ってみたもののすっきりせず、せめて今が夏でなくてよかったと思うしかできませんでした。いざベッドに入っても目が見える状態で眠るということが小学生の低学年のとき以来だったことを思い出し、なんだか悪いことをしている気持ちになって、コンタクトレンズをつけたままお昼寝をしたときのようにしっかり眠れずうつらうつらしながら朝を迎えました。

手術のあと

翌朝早いすぎる時間に目が覚めたので、喫茶店でゆっくり朝ごはんを食べて病院で向かいました。夜ほどではないけれど明るい場所でも太陽の光が反射すると白いラインが気になりましたが、モヤモヤも白っぽさもなくなっていました。

検診も30分かからず終わり、視力はなんと1.5になっており目がとても良い人に大変身を遂げていました。気になっていた白いラインは、手術前から話に聞いていたハローグレア現象でした。なくなることはないけれど、慣れて気にならなくなるそうです。確かに手術後1か月以上経った今でも白いラインは見えますが物を見るのに邪魔にはならず気にもならなくなりました。

手術翌日からは1日中保護眼鏡、1日4回3種類の目薬を点眼、洗顔、洗髪は3日ほど禁止。洗顔はふき取りパッドで対応、洗髪はタオルを目元に掛けエクソシストのリーガンスタイルで対応。感染症を予防するためにも止めたほうがいいのは分かるのですが、どうしても我慢できなかったです。自己責任で。

1週間後に再度検診がありました。この日も30分とかからず終了し、視力は変わらず1.5、ICLのレンズもきれいに入っているということで一安心。ただ乱視があるためレンズがズレてしまうと見えずらくなり再手術となってしまうので今後も目をこすらないように注意をしなければなりません。
1日4回3種類の目薬は継続、目元のメイクは引き続き禁止ですが頬から下の化粧と保護眼鏡が免除となりました。さらにその後1か月検診で問題のないことを確認していただき、目薬も1日2回2種類がなくなればおしまい、目元のメイク解禁ということでようやく人権を取り戻すことができました。

この日、病院の後に免許センターで眼鏡など条件解除をしてきました。目の中にレンズが入っているので正確には裸眼ではないのですが、運転免許的には裸眼と同じ扱いになるそうです。日常的に着脱可能かがポイントかもしれないですね。
今後3か月検診、6か月検診があります。何事もなくクリアできるといいなと思います。

ICL受けてみて

今のところ受けてよかった、満足しています。

見え方はコンタクトレンズのときと同じなので劇的な何かがあったわけではありません。しかも毎日何回も目薬をさしたりお化粧ができなかったりと不自由が多かったのでまだ完全に手放しでコンタクトレンズのときよりも楽とは言えませんが、それでも起きてすぐ目が見えることで生活は変わった気がします。
大きな地震など災害があったとき、寝起きであっても目が見える状態で動けたり、替えのコンタクトレンズや洗浄液を準備しておく必要がないのはものすごく大きいと思います。

人によって合う、合わないはあるとは思いますが、わたしは受けてよかったです。

観劇日記 日本対俺

赤堀雅秋さんの「日本対俺」という舞台を9月の最終週に観ました。舞台の感想っぽい感想ではないです。思ったことつらつらと書きます。

「そこらに落ちていた棒っきれで見えない巨大な敵と泣き喚きながら戦うイメージ」なんてコメントを目にしてしまったら、何がなんでもチケットを手に入れなくてはと思ってしまいますよね。
映像と舞台とで構成されていて、映像では赤堀さん、水澤紳吾さん、松浦祐也さんによるロードムービー、舞台では赤堀さんによる色々なおじさんオムニバス。

すみませんと言いながら愛想笑いしたり、何も面白い話ではないのに笑いながら話したり、ヘラヘラ誤魔化すような薄ら卑屈な笑いに、そういうこと!と、どこから目線なのか分からない共感の気持ちがわきました。
わたしには「彼らとは違う」という自負があるから、完全な他社として観察対象として消費する対象として観ていられました。けど日常にいる正直あまり関わりたくない人たち、彼らには彼らなりの考え理屈理由事情があって、もしかしたら彼らはわたしから断絶した存在ではなく一歩間違えばわたしもこちら側?いや他人から見たらわたしは既に側の人間なのかもしれないなんてことを考えるようになってしまった。
戦うおっさん劇場という番組を思い出したけれど、あれは働くおっさん劇場でした。どちらにしろ中年男性のぞわぞわと好奇心をかきたてる存在感はなんなのでしょうね。

わたしは赤堀さんの舞台作品を2作しか観たことがないけれど、気になっているのが何度も聞き返されたり、聞き返したり同じ言葉を繰り返したりするところ。
何度繰り返しても言っていることが伝わらず、コミュニケーションがスムーズでない。話し方が悪いのだろうけど、わたしもその傾向があってけっきょく面倒になってなんでもないって黙っちゃう。そういえば祖父も同じことしてるので遺伝かもしれない。でも赤堀さんの舞台に出てくる人たちは最後まで言葉を伝えようとしているみたいに見えて、作品を届けようとする人・表現者なんだなと思いました。
町田康の告白って小説も圧倒的な独りよがりが原因ではあったけれど、言葉が通じないことに対するフラストレーションが物語の一番大きな要素になっていて、あれもよく掘ってみたら似たような場所にいきつくのかな。
同じ言語で話しているのに通じないことって往々にしてあります。仕方がないのだろうけど、ただそれに自覚的かそうでないかは大切だなあ。良い悪いではなく単にそういうクラスタであるか否か、存在している世界が少しずつ違うだけなのだけど、やっぱり違う世界の人とのコミュニケーションは難しいです。
何度も同じことを繰り返し聞き返し聞き返される赤堀さんの演じたおじさんたちもまた、違うチャネルをもった人たちだったのかなって思いました。

わたしが観た赤堀さん作の舞台、今回の日本対俺と前作のパラダイス。共通していたセリフが「生まれながらに罰を受けている」。元政治家の手記、山本譲司さんの「獄窓記」からの言葉です。特殊な環境下の等しく抑圧されるべき団体の中の特権階級による手記に「夜と霧」を思い出しました。これは本人が望む望まないは別にわたしからはそう見えただけです。本文中にその例の言葉が出てきたとき「おお、これが」とちょっとした感動がありました。
読み終えた翌日、日本対俺観劇前にちょうど最終日だった蛭子能収さんの「最後の展覧会」に行きました。ちょうど蛭子さんが在廊していて、手を引かれ草臥れた様子の蛭子さんを励ましながら連れてきて行列作った人たちと写真撮らせていて、最後の最後まで搾り取ろうとしているように見えてグロテスクでした。あの人たちのインスタグラムに蛭子さんとのツーショットがポエティックな文章と一緒に掲載されるのかなと思うと、そういう世界なのでしょうがえげつないですね。まあ、どうやら面白いらしいからいっちょ観に行ってみるかと腰を上げたわたしと何が変わるのか分かりませんが。「獄窓記」で認知症のBさんのエピソードを読んだあとだったので妙に印象的でした。
そういえば蛭子さんの飄々と得体のしれない感じ、赤堀さんが演じてもおかしくないですね。ただ、今気がついたのですが蛭子さんには若干擦れたようなところがあるのに、赤堀さんの演じたおじさんたちは皆ピュアで純正培養されたままの世俗の垢がついていない人たちのように見えたのですよね。あえてそういったところを切り出したのかもしれません。「日本対俺」のタイトルのままに観れば何かと戦っていたのでしょうが、内側を向いたまま成長してきたようなおじさんたちがそれぞれに色々な意味で大奮闘している舞台でした。

2回目の観劇後に台本を購入しました。各幕のタイトルをそこでようやく把握したのですが、1幕がCovid-19、2幕がインフラ対策、3幕が8050問題、4幕が無敵の人、5幕がSDGs でした。日本が抱える問題が赤堀さんの手にかかると、なるほどあのような仕上がりになるのかと感嘆しました。
1幕から4幕までは完全に赤堀さんの一人舞台だったのですが5幕はほぼ毎公演違うゲストを招いての即興芝居という構成です。
わたしは初日の八嶋智人さん、木曜日田中哲司さんのソワレ、土曜日ソワレの大久保佳代子さんの回を観に行きました。
八嶋さんは初日ということもあってか設定に忠実に、観客のいる舞台としてストーリーを破綻なく進めていくことをかなり気にされているように見えました。パラダイスのパンフレットに掲載されていた対談で「あて書きしてくれているところもあって」と言っていたのですが、今回の八嶋さんもパラダイスの辺見を彷彿とさせる姿で、まさか八嶋さんの本来の姿はやはりこういった感じなのかと……サービス精神旺盛な方なので、きっと何か
田中さんの回ではマチネもあったからか、かなりリラックスされているように見えました。むしろ自由にふるまうことで、焦る赤堀さんを楽しんでいるようでした。最終的に映像パートに出演されていた水澤さんと松浦さんとを呼び込み4人で大団円。
大久保さんの回では、頭をグルグルと働かせている大久保さんを見守っているような赤堀さんが優しかったです。
「あとはご自由に」のアドリブドラマ企画が大好きで視聴していて思うのが、最後どのように終わらせるのかをある程度考えたうえで、そこからどう崩していくか・その場の状況に応じて対応していくかと、出たところ勝負でその場の瞬発力で話を進めていくのは全然違うのだなということです。これも方法の違いだったりするので、どちらが良い悪いの話ではないのですが、とにかく人が考えてそれを行動に移しているところを見るのは楽しいなとは思います。他人の本当に考えていることなんてわからないけど、この時だけはその中身を覗けているような気がするからです。

そう思うと、他のゲストの方の回も観たかったです。
どうもわたしの見られなかった金曜日の大倉孝二さんの回が配信されるそうで、まだ配信方法も何もアナウンスされていませんしプラットフォームによっては観られるのかも分かりませんが、ぜひ見られたらいいなと思っています。

しょうもな狂騒曲

関ジャニ∞さんを好きになる前のわたしはジャニーズに興味がなかったしむしろ好きではなかった。小学生のころは流行していたしそれなりに好きだったけれど、中学生になるころには今でいう邦ロックが好きになって、洋楽を聞くようになり、さらにちょっとしたサブカルかぶれになるころにはジャニーズはもうさっぱりだった。
その後いろいろなタイミングの巡りあわせもあって、今や関ジャニ∞さんにどっぷりだ。

昨今の諸々はTLで目にしている。
やったやってないについては原因とされる人がもうすでに亡くなってしまっている以上、「やっていない」証拠を出すことは難しく、「被害を受けた」とうったえる人がいる以上「では、そうなのでしょう」としか言えないでしょう。
知っていた知らなかったについては、以前からそういったことが噂されていたことをわたしは知っている。けれどわたしにとってそれは「口裂け女」や「ツチノコ」と同程度の都市伝説でしかなく、世間一般の認識もそうであったように思う。「知っていた」けど真偽のほどは「知らなかった」し、その真偽を問う以前に決め打ちで話が進んでいるのはものすごい剛腕がいたものだなあと思う。

本件もそのうち時間が解決するんだろうなとは思っている。だってわたしたちはとても忘れっぽい。
うっかりメディアや活動家を味方につけるのに失敗した政治家がいたら、今度はそれを一斉にたたき始めるのだろうし、東京に大きな出来事が起きたらあっという間に忘れ去られるのだろう。
「もうジャニーズのタレント使いません」なんて大見得切った企業も、担当者が変われば「そんなこと言いましたっけ」って何事もなかったかのようになるのだろうな。それこそ一社が使い始めて初めは少しサワっとするかもしれないけど、すぐに他社が追随するだろうことは目に見えてる。どうせ、そんなものよ。わたしたちは新しいものが好きだし、本当に忘れっぽい。たまに、彼らの信じる「本当のこと」を信じて(わたしからすれば奇妙な)声を一途に上げ続ける人たちもいるので、もちろん全員が全員だとは言わないけど。

自分たちが思っている以上に、まだまだ人間って感情で生きているのに、理性的・理論的だと思いこんでいることによる歪みって色々なところで起きてる。ちなみにわたしは「嫉妬」が一番厄介な感情だと思っていて、本当に嫌いだ。するのもされるのも。
そうそう、ここのところ税金は高いし、コロナで窮屈な生活を強制されているし、戦争は始まるし、夏は暑いし、ストレス溜まるよねえ。なのにTVをつければジャニーズのタレントが楽しそうに女の子たちにキャーキャー言われてる。あれが仕事だってさ、なんて。ちなみにジャニーズを叩いたところで、税金は安くならないし、次はインフルエンザの本格的なシーズンに突入するし、戦争はもう何がなにやら、そろそろ夏は終わるけど、暖房費の高騰に頭を抱える冬がやってくる、さらにジャニーズがたとえ失墜してもその人がモテるようになるわけではない。ドンマイ。

関ジャニ∞さんたちがつらい気持ちになるのはわたしもつらい。でもご自身の信じるものを貫き通してほしい。けっきょくのところ本件は今や「お気持ち」問題にまで成り下がっているのだから、気持ちの強さでは人一倍の関ジャニ∞さんたちがくじけちゃうはずがないと思っている。みんな、なんだかんだ言って基本的に声が大きくて強そうに見えるものにはついつい従っちゃうからね。集団ヒステリーみたいな状況に巻き込まれず、ドンと構えて関ジャニ∞さんたちのペースで素晴らしい20祭を迎えたいですね。

何かわたしの書いたものに思うこと・反論・自分の認識と違うところがある人は、一呼吸置いてからわたしのブログタイトルと説明を大きな声で3回読んでみてくださいね。
またわたしの書いていることは間違っている!と思う方はご自身の考えをぜひご自身のブログに認めてください。その際引用なんて楽はせず、すべてご自身の言葉で書くように試みるとよいかと思います。そして書きあがったブログを世間に公開してあげてください。人様の意見にはひとつも興味がないので、わたしには教えてくれなくていいです。楽しいことだけのブログにしたいから、この記事は気分で消すかもしれないし消さないかもしれない。というか、ブログにお気持ち表明している自分に寒気もしてる。なにとぞよろしくお願いいたします。

熊本土産のマグカップの話

丸山隆平さんを満月の夜の湖みたいと書いたことがあります。

丸山隆平さんて、なんとなく包容力があるというか安心感があって、特に目元からおデコにかけての大人の優しさ柔らかさったらまるで満月の夜の湖みたいです。たまに良い風がふいて水面をゆるゆるさせるので、湖面の月も揺れて形をぼやかせるんです。丸山隆平さん、静かにボートを漕ぎ出しましょう。

丸山隆平さんのお顔の上で眠りたい

ゆるゆると優しい風が吹いて柔らかく水面が揺れて映るお月さまも揺れて、湖は濃藍で深い。丸山隆平さんにどちらかというと寒色な藍色のイメージがあったのはわたしが丸山隆平さんを好きになった当初からで、それは横に長い奥二重の瞳の涼やかさやどこかシンとした印象を受けていたからで、また紺色ではなく藍色なのは藍色にはほんの少しだけマゼンタが入っているようで紺色に比べて温かみを感じる色に見えるからです。
ただ、そのうちに丸山隆平さんに藍色のイメージから深い緑色になってきたように感じることが増えてきました。夜の湖から深い森のイメージになりました。

5人になってしばらく経ってからだと思います。推敲してからと思いツイッターの下書きに入れていたのですが気づいたら消えていたので時期は分かりません。

 

さて話はかわり、昨日までワンチャンフェス当日に2日ほど追加して9月の夏休み、初めての熊本旅行を満喫してきました。関ジャニ∞さんのフェス参加がなければなかなか縁のなさそうな土地です。
わたしは旅行先で土地の民芸品や工芸品を手に入れることが好きです。
好みの食器を使っていそうなカフェを数件巡りお店の人にどういったところで熊本産の陶器を手に入れられるのかを聞きながら、けっきょく窯まで行くことはできずインスタでみつけた2店舗を周るにとどまりました。


2店舗目でみつけたマグカップ。前置きが長くなりましたが、これの話をしたかったのです。
わたしの中の丸山隆平さんのイメージと丸山隆平さんへの願いが形になったようなマグカップです。

 


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飴色と藍色がきれいに深い色をみせています。
飴色がオレンジ色を背負いアイドル活動をしている丸山隆平さんだとしたら、その下の藍色はアイドルではない丸山隆平さん。

わたしの見ることのできる丸山隆平さんはただ口縁の部分だけ、濃藍の胴から底への深さを知ることができない。

だけどマグカップをよく見てみると口縁だけであった飴色が藍色に溶けてほのかな彩りを足し、胴の部分を藍色からさらに深みのある緑色にしているのです。わたしにとって深緑色は藍色よりも柔らかい色です。


もし丸山隆平さんのアイドル活動が、アイドルでない部分の丸山隆平さんをより柔らかく優しいものになるような影響を与えているのだったらこれ以上幸せなことはないなと思いますし、そうであることを祈っています。

 

このマグカップ大分県の作家さんによる物でしたが出会ったのが熊本県なのでわたしにとっては熊本のお土産です。とても良い出会いに恵まれて帰宅してからも嬉しくマグカップを眺めています。

あの子たちとわたしの距離

楽しんでいるほうだとは思っているのだけど、最近はなんとなく距離を置いているところもあります。

せっかくの会えるかもしれない機会も申し込みさえしませんでした。

 

お兄さんたちの顔がチラついて、あの子たちをあの子たちとして見れているのか自信がなくなってしまったのと、彼女たちの露出が増えるに従い新たな事実がわかってきてわたしの中で育っていたあの子たちと実際のあの子たちとに乖離がみられるようになってしまったからです。

 

わたしの知っている安子ちゃんはライムグリーンのNinja250*1に乗ってshoeiの女性向け和柄のヘルメット*2をかぶっているし、おヘソのピアスにはトルコ石*3が入っていて、腕の付け根の脇に近い柔らかいところにはレッドデビルのタトゥ*4が入っている。安子ちゃんが週3で働いているボディピアス屋さんは駅の反対口にあるビルの二階なんだけど*5、階段を上ってみたもののビニールの暖簾をくぐる勇気はついに出なかった。安子ちゃんはメンズっぽい爽やかな香水をつけているけど、バイト帰りは甘いココナッツの香りもする*6。話しかければ気さくに笑い返しておしゃべりしてくれるけど、安子ちゃんから話しかけてもらったことはなかったかもしれない。いや、一度だけあったけど誰にも教えない。そういえば安子ちゃんってけっこう料理が上手いって噂*7。調理実習の時てきぱき進めていたらしいしね。安子ちゃんに関することはどんな小さなことでも噂になっちゃう。みんな安子ちゃんのことを気にしているから、自分が知っている安子ちゃんを負けじと噂しあうの。安子ちゃんはそんなわたしたちのことを知ってか知らずか、いつも笑顔で優しくて、でもそれ以上に踏み込ませてはくれないし、どこか怖い気もしてわたしたちも踏み込むことができない。

 

いつか同窓会なんかで安子ちゃんにまた会えたときには「こんなに有名になるなんてサインもらっておけばよかった」って冗談言えるようになれていたらいいな。

今はまだ、安子ちゃんとわたしの世界が完全に断絶してしまったことを認めたくない気持ちが強くて言えそうにないです。

*1:ホンダでもヤマハでもなく絶対にカワサキ。お兄ちゃんの友達がやってるバイク屋さんでの取り扱いがないし足つきも悪そうなので外車は乗らない

*2:Shoeiの女性向け和柄ヘルメット(https://www.l-bike.com/lbcms/wp-content/uploads/2018/12/2018_SHOEI_Z7_HARMONIC_Blue_.jpg

*3:ネイティブアメリカンぽいデザインがかっこよかった。体操服に着替えるときにチラッと見えちゃった

*4:水着でも着なくちゃ見えない場所なのに、なんでわたしが知っているのかは内緒

*5:ビニール暖簾の下から見えたお店の床は白と黒のチェッカーフラッグ模様だった

*6:丸子ちゃんはエンジェルハート使ってたけど三学期に入ってからはベビードール使ってるって。休日に偶然会った村子ちゃんはプチサンボン、倉子ちゃんはCK one、横子ちゃんはいつも人の家のいい匂いがする

*7:安子ちゃんのお弁当は毎日自分で作ってるって誰かが言ってたのを聞いたことある

ラブレターフォーハー、ヒムアンドミー

残念ながらわたしはレポートを書くことができないので、自分のことを書きます。

人によって解釈は違うでしょうし、どこかで散々言われてきたことを何をいまさら、という部分もあるかと思います。それでもまあ日記として、いくつかの曲にともなう断片的な舞台の記憶とそのとき感じたことです。


Wig in a Box

わたし専用の毛髪システム
わたし専用の地獄
わたしのヘッド……ウィッグ……

「笑わないと泣いちゃうから」よりも、Wig in a Boxが始まる前にヘドウィグが呟いたこちらのほうが印象に残っています。

愛しのルーサーとアメリカに渡ったものの一年も経たずに破局、母は太陽燦々ユーゴスラビアに。信頼してきたものに捨てられ、戻る場所もなくなったヘドウィグの情緒不安定な様子がすごくよくわかる一連のセリフですよね。

わたし専用の毛髪システム(そうね)
わたし専用の地獄(手術のあと最後まで残ったものはこれだけでしたね……)
わたしのヘッド……ウィッグ……(ダジャレ?)

ヘドウィグにとって髪型・ウィッグはアイデンティティの象徴だったのでしょうね。映画でもヘドヘッズの方々はヘドウィグの髪型を模した被り物をしていました。

世界中から置いてけぼりをくったように途方にくれていたヘドウィグが、素敵なウィッグを身に着けるたびに表情が明るくなり、魅力的になって、初めて愛したものに再会して……お花が開くようにヘドウィグの世界も素敵なものになっていって心が躍りました。

wig in a box の歌詞の中でもMiss Midwest checkout queenになったり、Miss Beehive 1963になったり、替えるたびに違う人物になれるウィッグはヘドウィグのキャラクターをコントロールする大切な器官だったのでしょう。

曲が終わった後、「シングルカットしちゃおうかしら」とおっしゃっていましたね、お待ちしております。完全限定生産盤には特典のライブ映像とドキュメンタリーDVDをつけて、初回限定盤にはライブで演奏した全楽曲の特典CD、通常版にはフォトブックがついていると嬉しいです。

ちなみにこの場面でウィッグを外したヘドウィグの前髪がとても短くてジーンセバーグみたいでかわいかったです。おデコは広いにかぎります。


the long grift

ぶん投げたはずのウィッグを持ってきたイツハク。

わたしはほなみさんイツハクの突き刺すような迫力のある、鼓膜がビリビリとする the long grift がとても好きで、いつも呼吸を忘れて聞き入ってしまいます。

look what you've done って、わたしは自分に向かってよく言います。イツハクはヘドウィグに頼んで、クロアチアからアメリカへわたってきました。ウィッグを脱ぎ、ヘドウィグの世話を焼きに。

イツハクは look what you've done と自分に言ったことあるかしら、あるでしょうね。

クリスタルナハトという名前でドラァグクイーンをしていました。映画の特典ディスクにその様子が描かれています。初々しいクリスタルナハトがヘドウィグの荷物を持ってあとを追う場面……そういえばルーサーは荷物持ちの男の子と去っていきましたね。

イツハクは、単にあの場所から抜けだすための手段としてヘドウィグを利用したのかもしれません。それでもヘドウィグはイツハクにとってある種の指針でもあったのでしょう。血縁のいない異国の地で生きていく上で、頼れる人がいるというのは大切なことですから。

悲鳴のような the long grift のあと、へらへらと「一緒に……」なんて取り繕うように言うヘドウィグに一度は背を向けて去っていったイツハクでしたが、ウィッグを渡しに戻ってきます。なんだかんだ言っても、心配だし、この人には自分がいなくちゃ……って思いますよね、わかります。

ウィッグがどのような存在なのか、自分も奪われた身であるからこそより一層身に染みて理解しているのでしょう。

ただ、ヘドウィグはそのウィッグを受け取りませんでした。むしろ、イツハクに被せそっとひとすじの髪の束を梳き、背中を押すのです。

元々イツハクの持っていたウィッグを返したのではなく、ヘドウィグの持っていたものを託したように思えました。


Wicked Little Town

Hedwig's lamentからのExquisite Corpseで全身を引き裂かれたようにのたうちまわるヘドウィグ、北海道夜の公演での衣装を脱ぎ捨て咆哮するシルエットに胸をかきむしりました。過去のいろいろのこと、積み重なってできた今の自分、やるせなさとか後悔も、悔しさや悲しみも、切れ切れのヘドウィグの中から出てきたのは、かわいいトミーでした。

あおいベースを抱えたトミーは

when you've got no other choice
you know you can follow my voice

なんて歌いました。

ましてや東京凱旋初日の夜、あの男の子は声を詰まらせ涙をこらえながら歌いました。「笑わないと泣いちゃう」と嘯いていたヘドウィグをトミーは知っていたでしょうか。

ヘドウィグはノーシスを知識を知恵をトミーに授けてくれました。トミーの前にいるヘドウィグはいつも一歩前を行くお姉さんでしたので、そんな姿知らないかもしれませんね。それでもヘドウィグは持っている唯一のものを打ち明けたのですよね。

おぼこいかわいいトミーは悪くない。ただ正直なだけですし、自分を守るために一生懸命なだけでもあるんです。ヘドウィグだってそういうあおいところ、かわいいなって思っていましたよね。

Sugar Daddyで「男ってバカ!」とかわいく言い放っていたけれど、そんな男をうっかり信じてみようかって、この人は違うかもしれないって思っちゃう女も本当に救いようのないバカ! ヘドウィグちゃん、今度ゆっくりお酒でも飲もうよ……。


Midnight Radio

六本木の最終日昼公演を観た日の夜は、とんでもない衝撃を受けたようで感情がオーバーフローしてしまい、眠っているのか起きているのかわからない状態でわたしの腕と脚は肘と膝までそれぞれ短くなりました。

後ろ頭、首の少し上の辺りに蓋のあいた空のアルマイトのお弁当箱が埋め込まれ、ヘドウィグマインドシアターよろしく、舞台の映像が断片的に次々と切り替わり、縦長に左右の耳が競い合うように音楽を脳天に向かって這わせていきました。

原因はMidnight Radioだと思われます。

第一声があまりにも深い藍緑色をした声で、1リットルの容器に入ったアイスクリームのような感情を深く掬われてしまって、いくつもの階層になっているところの普段は空気に触れることのない部分が露出してしまいました。

この曲を歌っているのがヘドウィグなのかトミーなのか、いつまでもわからないままでした。その時によってヘドウィグだったり、トミーだったりするのです。

そんなことをグルグルと考えていて、ひとつ、しっくりきたのが、ヘドウィグでもありトミーでもあるというものでした。それはトミーがヘドウィグのカタワレという意味ではなく、ヘドウィグがトミーの中に生きているという意味です。

トミーの体を使ってヘドウィグが歌っている部分とトミーが歌っている部分とが混在しているのかな、というのが現時点でわたしが考えていることです。

曲の最後、 lift up ypur hands という歌詞とともに客席からそろそろと腕が上がっていきます。肘を曲げたままの人もいれば、まっすぐピンと伸ばす人、音楽に合わせてゆらゆらと揺らしながら上げている人もいます。

それがわたしにはラジオのアンテナのように見えました。イツハクにアイデンティティの象徴であったウィッグを、トミーに知識を渡し、空っぽになったヘドウィグを受信するためのアンテナ。


おしまい

2022年2月はヘドウィグに首ったけでした。

舞台のあった日はもちろん、その後数日は丸山隆平さんのヘドウィグやほなみさんイツハクの声、アングリーインチの演奏が消えてしまわないように耳に残る音楽を大切に大切になぞりました。

クライマックスに向かい、先を観たい気持ちと終わってほしくない気持ちがない交ぜになることはありますが、それを感じることすらできませんでした。舞台を観ているわたしの存在がなくなり、音楽は耳を通らずこめかみの辺りから真空になってしまった体の中に響き入り、両眼だけが宙に浮いているようでした。

ヘドウィグ自体は以前より存在は知っていたものの、えらく長い「いつか観る映画リスト」に入ったままになっていました。今回舞台をきっかけに映画を観て、わたしのヘドウィグとの出会いのタイミングはここだったのだなと納得しました。

今回ありがたいことに複数回観劇させていただける機会をいただきました。色々な状況の中、残念ながら参加を見送ると決断され、その際にわたしにチャンスをくださった方々には頭が上がりません。またもし別の現場でお会いできたら、ぜひご挨拶をさせていただければと思っております。