根拠はない

マイティースイズデリシャス

観劇日記 日本対俺

赤堀雅秋さんの「日本対俺」という舞台を9月の最終週に観ました。舞台の感想っぽい感想ではないです。思ったことつらつらと書きます。

「そこらに落ちていた棒っきれで見えない巨大な敵と泣き喚きながら戦うイメージ」なんてコメントを目にしてしまったら、何がなんでもチケットを手に入れなくてはと思ってしまいますよね。
映像と舞台とで構成されていて、映像では赤堀さん、水澤紳吾さん、松浦祐也さんによるロードムービー、舞台では赤堀さんによる色々なおじさんオムニバス。

すみませんと言いながら愛想笑いしたり、何も面白い話ではないのに笑いながら話したり、ヘラヘラ誤魔化すような薄ら卑屈な笑いに、そういうこと!と、どこから目線なのか分からない共感の気持ちがわきました。
わたしには「彼らとは違う」という自負があるから、完全な他社として観察対象として消費する対象として観ていられました。けど日常にいる正直あまり関わりたくない人たち、彼らには彼らなりの考え理屈理由事情があって、もしかしたら彼らはわたしから断絶した存在ではなく一歩間違えばわたしもこちら側?いや他人から見たらわたしは既に側の人間なのかもしれないなんてことを考えるようになってしまった。
戦うおっさん劇場という番組を思い出したけれど、あれは働くおっさん劇場でした。どちらにしろ中年男性のぞわぞわと好奇心をかきたてる存在感はなんなのでしょうね。

わたしは赤堀さんの舞台作品を2作しか観たことがないけれど、気になっているのが何度も聞き返されたり、聞き返したり同じ言葉を繰り返したりするところ。
何度繰り返しても言っていることが伝わらず、コミュニケーションがスムーズでない。話し方が悪いのだろうけど、わたしもその傾向があってけっきょく面倒になってなんでもないって黙っちゃう。そういえば祖父も同じことしてるので遺伝かもしれない。でも赤堀さんの舞台に出てくる人たちは最後まで言葉を伝えようとしているみたいに見えて、作品を届けようとする人・表現者なんだなと思いました。
町田康の告白って小説も圧倒的な独りよがりが原因ではあったけれど、言葉が通じないことに対するフラストレーションが物語の一番大きな要素になっていて、あれもよく掘ってみたら似たような場所にいきつくのかな。
同じ言語で話しているのに通じないことって往々にしてあります。仕方がないのだろうけど、ただそれに自覚的かそうでないかは大切だなあ。良い悪いではなく単にそういうクラスタであるか否か、存在している世界が少しずつ違うだけなのだけど、やっぱり違う世界の人とのコミュニケーションは難しいです。
何度も同じことを繰り返し聞き返し聞き返される赤堀さんの演じたおじさんたちもまた、違うチャネルをもった人たちだったのかなって思いました。

わたしが観た赤堀さん作の舞台、今回の日本対俺と前作のパラダイス。共通していたセリフが「生まれながらに罰を受けている」。元政治家の手記、山本譲司さんの「獄窓記」からの言葉です。特殊な環境下の等しく抑圧されるべき団体の中の特権階級による手記に「夜と霧」を思い出しました。これは本人が望む望まないは別にわたしからはそう見えただけです。本文中にその例の言葉が出てきたとき「おお、これが」とちょっとした感動がありました。
読み終えた翌日、日本対俺観劇前にちょうど最終日だった蛭子能収さんの「最後の展覧会」に行きました。ちょうど蛭子さんが在廊していて、手を引かれ草臥れた様子の蛭子さんを励ましながら連れてきて行列作った人たちと写真撮らせていて、最後の最後まで搾り取ろうとしているように見えてグロテスクでした。あの人たちのインスタグラムに蛭子さんとのツーショットがポエティックな文章と一緒に掲載されるのかなと思うと、そういう世界なのでしょうがえげつないですね。まあ、どうやら面白いらしいからいっちょ観に行ってみるかと腰を上げたわたしと何が変わるのか分かりませんが。「獄窓記」で認知症のBさんのエピソードを読んだあとだったので妙に印象的でした。
そういえば蛭子さんの飄々と得体のしれない感じ、赤堀さんが演じてもおかしくないですね。ただ、今気がついたのですが蛭子さんには若干擦れたようなところがあるのに、赤堀さんの演じたおじさんたちは皆ピュアで純正培養されたままの世俗の垢がついていない人たちのように見えたのですよね。あえてそういったところを切り出したのかもしれません。「日本対俺」のタイトルのままに観れば何かと戦っていたのでしょうが、内側を向いたまま成長してきたようなおじさんたちがそれぞれに色々な意味で大奮闘している舞台でした。

2回目の観劇後に台本を購入しました。各幕のタイトルをそこでようやく把握したのですが、1幕がCovid-19、2幕がインフラ対策、3幕が8050問題、4幕が無敵の人、5幕がSDGs でした。日本が抱える問題が赤堀さんの手にかかると、なるほどあのような仕上がりになるのかと感嘆しました。
1幕から4幕までは完全に赤堀さんの一人舞台だったのですが5幕はほぼ毎公演違うゲストを招いての即興芝居という構成です。
わたしは初日の八嶋智人さん、木曜日田中哲司さんのソワレ、土曜日ソワレの大久保佳代子さんの回を観に行きました。
八嶋さんは初日ということもあってか設定に忠実に、観客のいる舞台としてストーリーを破綻なく進めていくことをかなり気にされているように見えました。パラダイスのパンフレットに掲載されていた対談で「あて書きしてくれているところもあって」と言っていたのですが、今回の八嶋さんもパラダイスの辺見を彷彿とさせる姿で、まさか八嶋さんの本来の姿はやはりこういった感じなのかと……サービス精神旺盛な方なので、きっと何か
田中さんの回ではマチネもあったからか、かなりリラックスされているように見えました。むしろ自由にふるまうことで、焦る赤堀さんを楽しんでいるようでした。最終的に映像パートに出演されていた水澤さんと松浦さんとを呼び込み4人で大団円。
大久保さんの回では、頭をグルグルと働かせている大久保さんを見守っているような赤堀さんが優しかったです。
「あとはご自由に」のアドリブドラマ企画が大好きで視聴していて思うのが、最後どのように終わらせるのかをある程度考えたうえで、そこからどう崩していくか・その場の状況に応じて対応していくかと、出たところ勝負でその場の瞬発力で話を進めていくのは全然違うのだなということです。これも方法の違いだったりするので、どちらが良い悪いの話ではないのですが、とにかく人が考えてそれを行動に移しているところを見るのは楽しいなとは思います。他人の本当に考えていることなんてわからないけど、この時だけはその中身を覗けているような気がするからです。

そう思うと、他のゲストの方の回も観たかったです。
どうもわたしの見られなかった金曜日の大倉孝二さんの回が配信されるそうで、まだ配信方法も何もアナウンスされていませんしプラットフォームによっては観られるのかも分かりませんが、ぜひ見られたらいいなと思っています。